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教育コラム#7_“心を耕す” わくわく子育て

こんにちは。
関西創価小学校 参事の三島千晃です。

初夏の陽光に照らされ、若葉がまばゆく輝きを増す季節となりました。
本校のなかよし農園にある水田では、5年生が心待ちにしていた「田植え」が行われました。その水田の横では、虫かごを手にした低学年の子どもたちが、笑顔で駆け回り、生き生きとした表情で昆虫探しに夢中になっています。まさに初夏は、生命力みなぎる躍動の季節です。

「なかよし農園」での田植え

◆「アリ」は「キリギリス」と一緒に冬越し?

さて、みなさんは「アリとキリギリス」という『イソップ物語』をご存知ですよね。
でも、このお話、もとはと言えば、「アリとセミ」という題名だったそうです。セミがヨーロッパの北部ではなじみのない昆虫だったため、翻訳過程でセミがキリギリスに変わったと言われています。
働き者のアリに、遊び好きのキリギリス。冬が来てキリギリスは、アリに物乞いをします。でも、アリはそれを断り、キリギリスは困ってしまう。こんなお話ですね。
幼かった頃、「目先の楽しさばかりを追い求めていると、キリギリスのようになってしまうよ」と、よく母親から諭されたものです。

日本で当たり前になっているこの結末も、ブラジルの絵本では違います。
なんとアリはキリギリスを迎え入れ、食べ物を分け合って一緒に踊って冬を過ごしたというのです。

物語の結末は、その国の価値観によるところが多いと言われます。
「人生は短い。大切なのは生きることを楽しむこと。中南米の人々は、人生の主軸をそこに置く。ただ貯め込むだけのアリ的人生より、キリギリス的人生のほうが豊かだと考えている」と言うのです。もちろん、中南米の人々がすべてそうだと言うわけではないと思いますが、価値観の違いを考えさせられる興味深い話ですよね。

◆「カメ」は、なぜ、ねている「ウサギ」を起こさない?

もう一つ、『イソップ童話』にまつわるお話をしましょう。
足の速いウサギと遅いカメが競走し、油断して眠ったウサギにカメが勝利する物語「ウサギとカメ」は、子どもたちの誰もが知っている定番のお話です。「ゆっくりでも着実に前進する大切さ」を教訓とするこの童話。
でもこのお話も人や国によって解釈が異なると言います。


ある国際会議での話。
ある国の学者は、ウサギとカメの競走自体が愚かだと力説し、ウサギにもカメにもそれぞれ良さがあることから、“個性の尊重”が童話の真意ではないかと述べました。
一方、別の国の学者は、“共に生きる”ことがテーマだと主張しました。ウサギが横たわっているのに、なぜ、カメは声を掛けないのか。眠っているだけならいいが、病気やけがだったら大変だ。そんな時はウサギを起こして一緒にゴールを目指すことを子どもたちに教えたい、と訴えたそうです。
同じ話でも国や人が異なれば受け止め方も違うのですね。
 
このように、子どもたちが身近に接する物語にも、世界の人々を理解する「鍵」があると感じました。と同時に、世界の様々な文化は、価値観を反映しており、国や人によっていろいろな捉え方・考え方があることを知ることが大切である、と思います。

◆緑の枝を広げた大樹は、砂漠や岩の上には育たない!

私たちは、子どもたちと共に歩む中で、これからの時代や世界を生きていく上で必要なものは何か、ということをいつも自らに問うています。
子どもはある意味で自分で育つものです。親を中心とした人間社会と環境の下で、さまざまなことを吸収し、自分で成長していきます。それは、よく耕した大地の中で、植物がぐんぐんと育っていく姿に似ています。

この芽の中に大きな可能性が

私が感銘を受けた創立者・池田先生のご指導に、次のような言葉があります。

緑の枝を広げた大樹は、砂漠や岩の上には育ちません。それは、肥沃な大地にこそ育つものです。同じように、豊かな人間性を開花させ、人生の栄冠が実る人間の大樹になるには、いかなる大地に立って生きていくかが大事になります。

『新・人間革命一巻』

親をはじめとする私たち大人は、いつの時代にあっても、子どもの心という大地がどのような状態になっているかを見つめ、肥沃な土地にしていくことが必要だと思います。

◆子どもの“心を耕す”「宝の言葉」

子どもの成長を「畑」とそこに植える「作物」に例えて考えてみましょう。ここでいう「畑」とは、“子どもの心“です。そして、そこに植え付ける「作物」とは、生きていく上で必要な“知識や技能“、“ルールやマナー“などです。
畑(心)は大地であり、内側から「耕す」ことが必要です。
反対に作物を植え付けるとは、子どもの中にはない概念を「外」から教えていくことを指します。
もちろん両方が必要なわけですが、ともすれば、後者に目が向いてしまいがちです。
家庭教育の大きな役割は、前者である“心の耕し”にあるといってよいでしょう。

「きょうだい活動」で いもの苗を植える

では、子どもの“心を耕す”とは、どういうことでしょうか。
モラハラ対策カウンセラーJoe(ジョー)氏は、子どもの中にある感情や感覚に対し、驚きや共感などの肯定的な反応を返すことだ、と述べています。
先に紹介した童話の話を思い起こしてください。
子どもであっても、人には様々な捉え方があることを頭に入れておきましょう。
そして、「そうなんだ。そう感じたんだね」「なるほど、おもしろいね」「すごい。そんな風に考えたんだ」というように、まずは「そうなんだ」「なるほど」と共感し、「すごい」と驚いてあげましょう。
「そうなんだ」「なるほど」や「すごい」という言葉は、子どもの“心を耕す”「宝の言葉」です。

畑で何を植え付け、育てるかにしても、土台となる「土(=心)」が重要です。よく耕された土は軟らかく肥えていて、どんな作物も実らせることができます。同じように、心を耕された子どもは“自分はここにいていいんだ”と安心できます。そして、自分で自分を励ますことができるようになります。

知識やマナーは、子どもの発達に応じて習得することができ、学校の先生や友達に教えてもらうことができます。しかし、“心の耕し”の作業は、子どもが信頼し、心を開いている親だからできることだと思うのです。
太陽に向かって、まっすぐ伸びていく木々の「若芽」を我が子の姿に重ねて、進んでいきたいものです。

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