教育コラム#2_笑顔の宝箱!”微笑み”を忘れずに進むと様々な発見がある
関西創価小学校 参事の三島千晃です。
今回のNoteは、前回の教育コラム「笑顔の宝箱!」の続編です。
子どもは“笑顔の宝箱”です。意識して子どもをよく見るようにすると、こちらが笑顔になることがあります。
いろんなことが起こっても“微笑みを忘れないでいこう”と決めて生活していくと、様々な発見があり、楽しくなってきます。
ここからは、私の体験です。
私には2人の息子がいますが、特に下の子の言動には、よく笑わされました。
小さいころから息子は人が集まる雰囲気が好きで、いつも母親に連れられては人の輪に加わる機会がありました。
そこに集っていた“大阪のおばちゃんたち”は「よく来たね」と言って、とてもかわいがってくれました。そして、「ごほうび!」と言って、飴をくれました。息子は、その頂いた飴を毎回、舐めないで、ガリガリと音を立てて食べていたのです。
そんな奇妙な行動が何日か続いたある日、突然「おばちゃんたちに飴をもらうのが、″こわい”」と言い出したのです。不思議に思って尋ねると「だって、テレビで『舐めたらあかん!』、『舐めたらあかん!』って言っているでしょ。だからボク、噛んで食べてるの……。でも歯が痛くなってきちゃって……」と真顔で言うのです。天童よしみさんの「のど飴のコマーシャル」のことですね。思わず笑みがこぼれてしまいました。
また、こんな出来事もありました。「今日は信号、全部に引っかかって、時間に遅れちゃった。ゴメンね」と頭をかきながら謝るおばちゃんを見て、「どうやって、あんな高いところにある信号機に、ひっかかっていたのだろう?」と思っていたそうです。なんとまあ、「そうとるか」という感じですよね。
さらに、うちの近くには、明治時代の初期に建てられた公立小学校があり、その庭に「二宮金次郎」の銅像がありました。薪を背負って本を読んでいるあの銅像です。
それを見た息子は、「あの子、いつも本を片手に、お机を背負って大変だな」と思っていたと言うのです。
金次郎さんが、薪を背負っているのではなく、机を背負っているように見えたんですね。薪を使うことがほとんどない現代では、薪より机の方がストーリーとしては、つながりますよね。
このように、子どもの生活を注意深く見ていると、いろんな発見があり、親であるこちらが思わず笑顔になってしまいます。
子どもは、大人は気付けない「子どもならではの視点」があって、親を楽しませてくれます。
おもちゃを自分なりに工夫して遊んだり、森の虫や花、飛んでいる飛行機やヘリコプターを見て大喜びをしたりするなど、子どもの周りには、不思議な出来事がいっぱいです。
だから、子どもは「笑顔を与えてくれる“宝箱”」なのです。
でも、そんな素晴らしい“宝箱”も、その中身を見ることができない時があります。
それは、私たちの㋐子どもに対する要求が高かったり、㋑完璧すぎたりするとき、また、親である私たち大人に ㋒時間に余裕がなかったりすると、その宝箱の中身を見ることはできません。
私たちが、いつも微笑みを絶やさず進んで行こうと決めて、子どもたちを見つめていれば、子育てが楽しいと感じられるのです。
人の脳は、ミラーニューロンという神経細胞があり、自分がみている人の感情を再現するといいます。つまり、私たち親が笑顔なら子どもも笑顔になります。そうして笑顔が広がっていきます。
「笑顔にあふれた家庭ほど、幸福なものはない」との創立者池田先生のお言葉が思い起こされます。
「笑」と「咲」は同じルーツの字だと言われています。
微笑みのある「成長家族」の中で、子どもはすくすくと育ち、可能性という大輪の花を咲かせていくと思うのです。